
のぼせ・冷えといった更年期障害を治す「命の母A」と生理の不調を治す「命の母ホワイト」。この2つの製品名に共通している「命の母」とは、明治36年(1903年)に生まれたお薬の名前です。100年以上前に「すべての女性を健康にしたい」という想いで創られた「命の母」は、一貫して女性を見つめ、女性の暮らしと歩いてきました。そんな「命の母」の歴史をひも解いてみましょう。

今から100年以上前、ひとりの志によって「命の母」は誕生しました。その名は笹岡省三。産婦人科医の祖父を持ち、体の弱い母を見てきた省三は、子供時代より「病に悩む女性を助けたい」という想いを抱いていました。そして薬の販売業のかたわら、あらゆる処方を組み合わせ、研究を重ね、ようやく完成させたのが、「命の母」です。
「命の母」という名前について省三は当時「婦人病者が全幅の信頼をもって迎えるような理想薬をつくりたい。それは文字通り“婦人の生命”であるというようなところから『命の母』という名称をつけました。」と語っています。「命の母」は生命を育む母性を尊ぶ想いから生まれたのです。

「命の母」が誕生した明治から大正にかけての女性は、大家族のなかで家事労働に明け暮れ、過酷な生活を送っていました。体調が悪くても休む暇もない暮らしのなか、女性のためのお薬が「命の母」だったのです。女流歌人与謝野晶子は「命の母」についてこのような歌を残しています。
「人多く いのち之母と呼ぶ薬 この世にあるがめでたかりけり」
「命の母」が当時、多くの女性を治し、受け入れられていたことが、この歌からも知ることができます。
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